2006年11月25日

灰谷健次郎 逝く

灰谷健次郎がなくなった。

教育基本法改正、子供の自殺の連鎖。

こんなときに逝ってしました。

彼は、定時制高校から教員になり、そして作家になった人である。

ほんとうに子を教えた魂を持った人である。

なんとも残念である。



私は、読み聞かせのボランティアを月2回近所の小学校で行っている。

自殺のニュースを見聞きするたび、この子らに底知れない「闇」があるかもしれないと思うと悲しくなる。屈託のない瞳がまだまだ多い。

子達になんらかの形で、灰谷の気持ちを伝えたいものである。



「子達よ! とにかく生き続けてほしい」

「がんばらなくてもよい」

「兎にも角にも生き続けてほしい」

「ずるくても、良いのだ」

「卑怯でないかぎり」



「僕は君たちの将来を信じている」

「君たちは生き続ける価値があるのだ」


2006年11月17日

少年の自殺を利用していなか 教育基本法改正

少年・少女の自殺が続いている。

兎に角、死なないでほしい。



生きていると必ず楽しいことがあると信じようよ。オジサンが子供だったとき早く大人になって『自由』になりたいと思った。

それほど、大人が楽しそうな時代に、少年時代を過ごした。

そうです。高度成長期の真っ只中であった。



そして、15歳ころから不明な腹痛に悩まされた。難病に罹患していた

どこの病院にいってもはっきりした診断は下されなかった。今から思えば笑えるが、「自分は夭折(早死にする)」と思っていた。大人になるまでは、生きたいと思っていた。23歳のときに病名がわかった(詳しくは)。

すぐには死なないことはわかった。

いまでも、生きている。楽しいことが、しょっちゅうあるわけでもない。

しかし、結婚もした。3人の子供にも恵まれている。自分をさておき「心配ができる」存在が4人もいる。この幸せを味わえたのは、「生きていた」からである。



教育基本法を変えても、自殺は減らない。まして、今回の改変は、まったく逆行しているように思える。今の基本法でも情熱をもって教育に携わる先生はたくさんいる。



「社会と心が荒んでいるだから自殺する子供が増える、だから法律を」という空気を操作していないか?



自殺をする子供を利用していないか?



「愛国心をもてない」、「公」をもてない子供を責める(攻める)前に、まず自らが楽しく生きているか、己も含め反省したい。地方行政のトップが逮捕さる「公僕」に生きがいをもってトップに立っている人が少なくなったように思う。






















2006年09月29日

東京ローズ亡くなり、安倍晋三は首相に

東京ローズが死亡記事が載った。東京ローズとは、大東亜戦争(太平洋戦争)時に大日本帝国が流したプロパガンダ放送のアナウンサーだ。命名は、視聴者のアメリカ兵である。

歴史の教科書にでていた東京ローズがまだ、存命であったことすら知らなかった。



そして、戦後生まれの首相が誕生。何か危うい匂いがする。

安倍晋三は、長州である。松岡洋右も確か長州だったと思う。



「美しい日本」とは、座して和をなす国である。いすを蹴り飛ばして、退席するは、ある意味グローバリズム。和をもって尊し。座して、和をなし、我が邦の魅力に引き込む、外交力が安倍氏に少しでもあればと期待する。



一方、我が住まいは、座しても民に、壇上から立て板に水のスマートな弁舌で、コウノトリに舞い上がり、本当に市民のことを考えているかいかにも疑問な市長を冠しているのである。

雨がふると長靴が水没する通学路(もちろん車道)を通って通学しなけば、ならない子たちがいます。市に陳情すれば予算がない。コウノトリ放鳥で宣伝効果抜群なのかもしれないが、市内のこどもの安全も確保できない予算規模なら、何を「愛しているのかわからない」。

コウノトリの郷公園に行く時間があるなら、行動する首長よ。まず、雨の日の通学路を視察されたし。



国政をめざされていただろうころは、「大志」あったのかも知れないが、首長を墓場と考えられてからか、思考回廊は、かなり「動脈硬化」ありのような気がしてならない。

2006年04月16日

コウノトリという虚飾 里山を保存する気持ちはどこへ。

コウノトリの自然界孵化実現へかなり前進である。私の住む豊岡市は、コウノトリの自然放鳥を行い環境にやさしい「田舎」を標榜している。

しかし、平成の大合併で、生まれた新生豊岡は、交付税目当ての土木行政大好き典型的な「地方行政」を行う住人には厳しいところの多い田舎者丸出しの行政の長をもつ市である。

コウノトリがかなり最後まで住んでいた地域(上郷)の里山を、交付税を目当てに(頼りに)、簡単に開発しようとする行政である。

自然環境を本気で大切にするのなら、最後までコウノトリがいた地に隣町のゴミまで集めて、大規模ゴミ処理施設を作る計画を当たり前のように作成するのだろうか?

確かにゴミ問題は大切である。循環型社会をめざし、地方としての独自性を主張するなら、そして、本気でコウノトリを野生に返す気があるなら、観光地の「コウノトリの郷公園」周辺だけでなく、市全体の自然を保護する行政をすべきではないか?

子供を運ぶはずのコウノトリを大切にしている「はず」市は、通学路に歩道の少ない地方都市である。自動車優先である。

市街地の用地地域を変更してでも、ゴミ処理施設は、みんながゴミ問題をずっと意識できるように、衰退しつつある市街地に作る案はなぜ生まれないのだろうか?まさに、環境共生住宅である。本当に安全なゴミ処理施設なら、市の中心部に作り、その熱回収によるセントラルヒーティングの公団や老人ホーム、市役所を整備すればよい。それほど、自然環境を大事にしているのだというメッセージを発すればよいのではないだろうか。

ドイツのようなゴミ処理施設をこの日本の田舎に作る提案を作成できる建築会社や識社は、いないのだろうか?

世界の冒険家で、自然を愛した植村直己の郷に、里山は、豊岡市の「虚飾」を維持するための犠牲になろうとしている。

地方の行政とは、所詮こんなものだろうか? 


2006年04月11日

小沢一郎に期待? 永田氏と違い密教を知る?

小沢氏は、前原氏が党首になった段階で一度消えたかに思えた男である。

彼は、「党首になったら」というイメージを最近まで持ち続けていただろうか? やや不安である。



4月10日のNHKの番組で、「世論調査の結果、次の総理として第3位はいりましたが」という問いに、「まずは総選挙に勝たないと」という返答であった。党首になったらのイメージが希薄になっていただろう以上に、「総理になったらというイメージ」がかなり希薄であろうと感じられた。

どのように答えるべきだったかは、なんともいえないが、「総理へ」何らかの「気迫」を表して欲しかったものである。



ところで、今回の永田メール問題で、「東大とは」と考えさせられる事件であった。

小沢一郎に期待? 永田氏と違い密教を知る?の続きを読む

2006年04月08日

福田康夫ありかも? 小沢氏圧勝で

民主党の党首選挙で、小沢氏圧勝は、みんなの予想通りである。

小沢氏圧勝で、福田康夫氏の芽が少し残ったような気がする。安倍晋三氏を個人的には押したいが、もし仮に小沢氏の民主党の建て直しに効果があれば、なぜか自民党での福田氏の「匂い」が増しそうな気がする。

中国、経済、etc、そして政治家自身の健康問題、何が起きるかわからないのが政治である。



景気が回復といわれ、政治への関心が薄れるつつあるような気もする。



私は、意外と福田康夫氏の総裁がありと思えてならない。



ちなみに、私が住む田舎では、「中央」のことは、外国のことのように遠くの話である。でも、多くが、「中央」を遠くと思う民たちがいるのである。

2005年12月29日

耐震偽装 計算ソフト「配備」躍起! まずは、プロ育成が先決

今回の構造計算偽装で、自治体は計算ソフトを導入したり、導入検討している。ソフトは複数あり、誤差が生じるらしい。ある大手ソフト会社の担当は「ソフトの導入より提出書類をきちんと調べることのできる『プロ』を育てることが先決だと思う」といっていると新聞に掲載されていた。まさにそうである。

耐震偽装 計算ソフト「配備」躍起! まずは、プロ育成が先決の続きを読む

2005年11月01日

さすが、福田康夫か? 非主流の血か。

福田康夫氏は入閣をすでに断っていたという。

さすが、と言うか。非主流の血か。

全て主流派というのは、組織として脆弱であり不健全でもある。



主流の競争レースが、失態(失速)を犯したとき(対アジア外交か?)に出番がでてくる。対アジアへの「期待感」も保持できる。



ただ、もう少し「ハート」が若ければという気もする。どうも福田氏は「老成」というより「老生」と感じる。



いずれにしても、福田赳夫氏の国際舞台での「日本語」での演説を思い出す。老成していたが、「ハート」のある演説だったような記憶があるが、単なるノスタルジーだろうか?

2005年10月31日

内閣改造

サプライズなし。



前原氏を「コイツ」とのたまう片山さつき氏が是非入閣してほしかったものである。

ポスト小泉は、やはり安倍晋三氏か?

個人的には、ベターな選択は安倍氏であるように思う。入閣しなかった福田氏もありえると思うが、あとの方々は、どうも役不足のような印象を受ける。



牛肉輸入問題で、中川昭一大臣がもうひとふんばりして、どうも言いなりになっているというイメージから、「国益対決」の色彩を濃くして、理路整然と戦えば、無党派層の「人心」を年齢層に関係なく捉えるような気がする。



外務大臣より、「もの」をいってくれそうな期待を持つのは私だけだろうか?