2005年11月30日

耐震強度偽装 どこまで続く?

耐震強度偽装問題は、大臣認定プログラム脆弱性指摘などで、責任の転嫁先探しに入った感じがする。

プログラムなんて、所詮悪意を持てばいくらでも、改ざんできるものである(「元一流と思っている」技術者としては断言する)。ようは使用者の企業倫理であり、個人の技術者人としての「誇り」の問題である。

そんな「誇り」を持った「大工さん」や企業に建築を頼みたいものである。

すでに、この事件も自殺者が出ている。不幸である。

多くの日本人が自らの「誇り」(古く言えば「徳」なんと古めかしい)をなくしているのである。誰が信じられるかという目と臭覚をなくしたような気がしてならない。

デジタルを駆使してシステムを作ってきたつもりであるが、やはり最後は「肌感覚」である。ものを販売している会社のトップや現場がどれほど自分に誇りをもって仕事しているかを感じられる自分でいたいものだ。


2005年11月24日

お歳暮シーズンの哀しみ おぼろ昆布

お歳暮シーズンを向かえ、DMがやって来る。



例年、決まった品を決まった人に送る。

義父には、とろろ昆布とおぼろ昆布の詰め合わせ。



大阪岸和田の鳥居の商品である。



決まって、夕食の最後は、お茶漬けを食べる義父であった。



お茶碗の中心に「穴」を空け、いろいろな好物を入れて最後は、とろろ昆布かおぼろ昆布を入れて熱いお茶をかけておいしそうに食べていた。



昨年、悪性リンパ腫で他界した。ゴマすりじゃなく大好きな「父」であった。



今年は、送るあてがないのにDMはやって来る。

もちろん、お店の人はこちらの事情を知らないので罪はない。



DMを見て、何度か一緒に囲んだ夕食の風景と「父」の顔とお茶付けの啜る音が浮かび悲しみを誘う。


2005年11月16日

ロハスなお歳暮 但馬の郷(植野仁志氏)

出石(これで「いずし」と読む)に、頑固な「燻製屋」がある。

確か、食品会社のサラリーマンから転進。国際コンクールで賞をとるほどのハム職人が居る。

郷里である出石という小京都に工房がある。蕎麦でちょっと有名な街であるが、ハムもおいしいのである。



職人社長、植野仁志氏は二枚目だがかなりガンコとお見受けした。

私は、「鴨の燻製」がすきである。

但馬牛(神戸牛、松坂牛の素牛---但馬原産の牛を買いつけ神戸、松坂で育った牛が神戸牛、松坂牛になるのです)を使ったスモークビーフもある。

一度お試しあれ。ボジョレーヌーボーに合う燻製である。旨くて安全なものはそれなりの価値がある。


2005年11月12日

蝉しぐれ

先日、喜寿の義母とシネコンにいった。

藤沢周平原作、「蝉しぐれ」である。11月1日サービスデーだったので結構客が入っていた。となりの「四月の雪」などは、満席であった。



木村佳乃が良かった。泣けた。たまたま、原作を読んでいなかったので、読んでみた。



藤沢周平と山本周五郎は、日本の作家にあって書き細らなかった数少ない昭和の作家だと思う。多くの作家は、作品が増えるとどんどん感動がすくなくなるような気がするのは小生だけではないと思う。



客の多くは、年配であった。「思い」を伝える手段が、直接の言葉いな息づかいと視線、そして手紙(ふみと言ったほうがよいか)だったころの、濃密な「無念」と忘却のかなたに追いやることのできない「思い」を、多くの観客と一瞬共有できたような気がした作品であった。



すぐに「伝わる」携帯電話世代の若者が見ても感動するだろうかと自問しながら、義母とシネコンをあとにした。

2005年11月01日

さすが、福田康夫か? 非主流の血か。

福田康夫氏は入閣をすでに断っていたという。

さすが、と言うか。非主流の血か。

全て主流派というのは、組織として脆弱であり不健全でもある。



主流の競争レースが、失態(失速)を犯したとき(対アジア外交か?)に出番がでてくる。対アジアへの「期待感」も保持できる。



ただ、もう少し「ハート」が若ければという気もする。どうも福田氏は「老成」というより「老生」と感じる。



いずれにしても、福田赳夫氏の国際舞台での「日本語」での演説を思い出す。老成していたが、「ハート」のある演説だったような記憶があるが、単なるノスタルジーだろうか?